SNSの面白さは個人の面白さで、SNS写真の面白さは日常の面白さではないかと思うのですね。
SNS写真
SNSに写真をアップして人に見せるという場合に、作品だと考える人もいれば、単なるキャプチャ、切り取りだと考える人もいると思います。
どちらが正解だと言うことはできないけれど、SNSの特性として、アップした瞬間に過去のものとして流れていくことを考えれば、作品を上げるにはちょっともったいない使い方ではないかと思います。
作品を上げるには虚しいSNS
僕は以前、作品を発表する場のように捉えていた頃があって、かなり頑張った写真をアップしては瞬時に流れていってしまうのが虚しいと感じていました。
すぐにいいねが来ることは手応えがあるけど、その後それは長続きせず、どこに行ったかも分からなくなってしまう。
自分でさえそうなのに、他人はほんの一瞬の衝動で反応するだけだから、次の瞬間には別の人の写真を見て喜んでいると。
僕も他の人の写真を見て、同じように瞬時に反応して、何時間かのちにはいいねしたことさえ忘れている。きょう誰の写真を見たのか覚えていなかったり。
衝動ならキャプチャで十分だろう
自分が瞬時に感じたことを保存して、それを他の人に見せて、瞬時に感じてもらう。
それだけでいいのではないかと思った瞬間に、もやもやしたものが一気に飛び去り、SNS写真の楽しみ方が少し解った気がしました。
広告ツール
以前、同じようなことを書きました。
例えば Instagram というのは写真共有ですが、同時に広告ツールでもあって、個人にしろ企業にしろ、写真で人の気持ちを引きつけて何かに利用するという媒体なのですね。
じっくり見て考えられるよりむしろ、瞬間の衝動を、気持ちが冷めないうちに行動に変えてもらいたい、みたいな部分があると思います。
だからアップする写真を作品的な考え方で捉えた場合、それは作品そのものではなくて作品のエージェントみたいなものだと。
実体は別のところにあって、そこに行くための道筋をつけるためのものだと思うのです。
作品を見せたいためにSNSを使うなら、そういったエージェントだと割り切る必要があると思います。
誰かの日常
僕らがSNSで誰かをフォローするとき、それはその人のアクティビティを見ておきたいと思うからだと思います。
次にどんな写真が流れてくるかを楽しみにしたいという期待ですね。
だから一瞬一瞬の重さよりも、継続的に感じられる気づきとか、全体としての雰囲気みたいなものを、ちょっとずつ感じたいと思うのではないでしょうか?
誰かの個展に行って、その人の作品を隅から隅までじっくり見て、お腹いっぱいになって帰ってくるのとは、違う楽しみ方です。
誰かの、なんでもない日常の断片を、ちらちら眺める面白さ。
あるときは、道端を歩いているその足元とか、猫と戯れている姿とか。
またあるときは、作品作りに没頭して緊張感みなぎっている傍らに置いてあるハサミとか(笑)
そんなものでその人の暮らしを想像してみたりすることが、SNSの最も面白い部分、駆け引きのない美しい世界なのではないでしょうか。
作品というより、ストーリーをちょっとずつ切り取って見せるメイキングのようなものの方が、クリエイターがSNSを利用して面白く感じてもらえる表現なのではないかと思ったりするのですね。