expwakui's act

Webライターの日常ブログ

感じて撮るのが「写真」で絵作りとは違う

これを読むときに「プロ」とか「アマチュア」とかいう捉え方は一回横に置いてください。

アーチストやデザイナー(志向の人)が自分の中の「衝動」や「目的」を作品に落とし込もうとするのは「絵作り」なんだと思います。
いろんな若い方の写真を見ていても、そういう志向の人は絵作りをしようとしています。

だけど「写真やってます」って仰っていたりします。

自分のイメージに合う風景、イメージに合う被写体を持ってきて(あるいは寄って行って)イメージに合うカメラを使って撮り、イメージに合うように現像、レタッチをして、仕上げます。

カメラの性能はあまり関係がなくて、イメージに合ってればいいのですよね。ぶっちゃけカメラなんてなんでもいい。RAWが出れば後でフォトショでなんとでもなる。(かな?)または、フジのカメラならOKとか。

ここまで言ってこの先、どう収拾つけようかと迷い始めていますが(笑)

とりあえず僕がインスタに上げたこの写真を見てもらえますか。

夏の雨の日

何年か前に撮った写真です。
今回、タイトルを「夏の雨の日」と付けてみました。

ひたすら雨が降る日で、前日は風が強く吹いていました。
コンビニのイートインにいて外の風景を眺めたら、雨の感じがなんか素敵だったんです。
カメラを持っていたので写真を撮りました。1枚か2枚。
それだけです。

当時のアカウントでもしかしたらアップしたのかも知れませんが、その後、ずっと眠っていました。
今回、たまたま目に止まったのでインスタに上げたのですが、そのままだとちょっと訴求力がなかったので、モノクロにして、明度・コントラストを調整して(Snapseedの"モノクロ"の"ブライト"を若干調整して)、インスタに取り込み、フィルタ "Clarendon"(なんて読むんですかね)を少しかけて青みを持たせました。

基本的に僕の写真制作(笑)ってこんなもんなんですが、自分なりに大事にしていることは、一番最初、

〇〇の感じがなんか素敵

なんです。この写真を撮った動機です。
別の言い方をするとモチベーションです。(言わなくてもいいか)

で、僕としては、素敵だった雨の感じの「なんか」の部分が、ちゃんと写真に写ってくれることを期待します。
雨ってとてもデリケートなんですよね。普通に撮っても上手く写らないですよね。

確かに、雨自体は写りませんでした。
でも路面の雨は写ります。なるべく大きくして見たら、路面の雨の感じは分かります。
僕が感じた「雨の感じ」は路面や、手前のバーに滴っている雨の感じだったんだなと後から分かりますし、「なんか」は、その場全体にある「空気感」だったのかも知れません。

ここで・・ヤワなカメラだと、少なくとも空気感は写りません。

僕にとっては、雨の感じや、空気感が写ってくれるカメラがあれば、この瞬間は恥ずかしながらも作品になったし、そんなカメラじゃなかったら、作品にはしなかったかも知れません。

というわけで・・

写真は感じたことを撮ってそのまま絵に出てほしい

んです。

高性能なカメラがいいと言っているわけではありません。
だけど、少なくとも性能が良ければ、感じたことの多くは写るし、写せるはずなんです。
その時、自分の感性にカメラの特性が合っていれば最高のパフォーマンスを発揮すると言っていいでしょう。

もし、思ったように写らなかった時に初めて、その感じが出るように画像を調整すればいいんじゃないでしょうか。(今回調整した結果で、もしかしたら空気感は失われたかも知れませんが・・)

写し撮ることは基本

写真の創生期に、写真家がきちんと被写体を写し撮ることに注力していたのは、まず、被写体(あるいは自分の関心事)がちゃんと絵になって欲しいからじゃないでしょうか。
写真を撮るということは、本来はそういう意味だったんじゃないでしょうか?だから「写真って言ってるけどほんとは違うよ」なんて話をするのはちょっと軽はずみかなと思ったりもします。

なんとか収拾したつもり(笑)

(2022年2月16日に note で投稿した記事)