expwakui's act

Webライターの日常ブログ

誰かのために写真を撮って、誰かがいいねしてくれたら、それでいい。

1. 写真を始めた動機

写真を始めた動機は、素敵な写真を見て、そういうのを自分で撮りたいと思ったからです。

2. うまくなりたい

一眼レフを手に入れて、写真を撮り始めたら、なかなかうまく撮れない。
うまくなりたいな。
それで他人の作品を見たり、ハウツー書を読んだりして、テクニックや考え方を学んで、ちょっとずつうまくなって行きました。

3. 自分の表現

それなりに自分のイメージどおりに写真が撮れるようになってくると、自分のメッセージを込めたいと思うようになりました。写真集や写真論なども参考にするようになりました。

a. 街写真

街を見て、自分の内面がそこに写るような気がするから、その瞬間に撮れば自分の内面が写るんじゃないかと思い「風景は自己の投影」「写真には心が写る」なんてカッコつけて言っていましたが、必ずしもそれは見た人に伝わらず、別の感想を言われたりもしました。
それより単にカッコいいビルやお店の写真の方が同じ感想を持ってもらえました。

b. 自然写真

大御所の写真にあこがれて、その撮り方を真似していました。
風景を見て感動したら、その風景をそのまま撮るのではなくて、感動した部分がリアルに伝わるように撮るということを考えていました。
それは比較的うまく行って、それなりに評価もされたけど、そういうのは芸術的な方向性があって、分かる人(ハイアマチュア)には分かるが、一般の人は必ずしも評価してくれないということも知りました。
自分自身も、決して面白いものではありませんでした。

4. 好きだから撮り続ける

自分は街写真なのか、自然写真なのか、あいまいなまま、特にテーマも持たずに撮っていた日々がすごく長いわけですが、それでも続いていたのは撮ることが好きだったのと歩き回ることが好きだったからでしょう。

5. 誰かのため(+自分の楽しみ)のために撮る

a. いいねを意識する

Instagram をやり始めてから少しずつ変わってきたことです。
最初は作品発表の場のように捉えていたのですが、やっているうちに「いいね」を意識するようになり、実際にいいねがもらえた写真って、どういうものだろうと考えるようになりました。
つまりそれは、誰かが喜ぶ写真なんですね。

b. 身近な人の推し

もしSNS上でいいねがもらえなかったとしても、身近な家族が絶賛してくれたら、それでいいじゃないかと。
だから基本は自分の楽しみで写真を撮っているのだけれど、プラス、身近な人に見せて喜んでもらいたいという気持ちが出てきました。

c. 観光的な写真や花などを撮ること

風景を撮って、写真の専門家じゃなくて一般の人に喜んでもらえるのは、どこを撮ったかハッキリさせることや、そこの良いところ、美しい姿など捉えて見せることなんですね。
花の写真は女性を中心に、喜んでくれる人が多いし、色鮮やかなものはウケるし、自分も植物が好きなので、そういうのも意識して撮るようになりました。花じゃなくても植物は、好きな人が沢山いるんですよね。

d. 「いいね」も誰かからの評価

だから今では、誰かに見せたいと思って撮って共有して「いいね」を沢山もらえることは素直に嬉しいです。
でも仮にもらえなかったとしても、身近な人が「いい」と言ってくれたらそれでも嬉しいのです。

自分のマニアックな趣向で撮った写真の「いいね」が少なくても素直に納得できるし、それはそれでいい。自分が気持ちいいから。
でもたまに、海外のフォトグラファーなどプロフェッショナルな人から「いいね」をもらえると、それは別の意味でまた嬉しいわけですね。プチ誇らしい気持ちになるのです。

6. 他人が喜んでくれる写真の中に自分らしさを込める

これからはこういうことも考えて行きたいです。
単に「わー素敵」「きれい」「ここ知ってる」と思われるだけじゃなくて「なんか面白い見方だな」とか「こういう風に見たことはなかった」と発見してもらえるような写真を撮って見せられたら良いなと思っています。

(2022年5月8日に note で投稿した記事)