もう完全に昔話ですから。閲覧注意ですから(笑)
実は1980年代の神戸は凄かったのですよね。
もっとも、それよりずっと昔に遡るほど、もっともーっと凄かったのです。
僕は80年代の後半は関東にいたので半分ぐらい真実を知らないのですが、思い出せる限りを尽くして書き留めたいと思います。
神戸のお嬢様
という存在が、東京を始めとして全国的にとてもクローズアップされたのですよね。
神戸のお嬢様のライフスタイルは、全国的にも珍しいぐらいの「コンサバ」だったのですよね。買い物はいつもお母様と一緒に行くとかね。
その「お嬢様」のパワーがものすごくて、ファッションから映画、ドラマ、バラエティに至るまで、あらゆるメディアで取り上げられました。神戸や芦屋のリアルなお嬢様がテレビに登場したりもしました。
確かにライフスタイルは気高いものがあったと思うのですが、本当にオシャレだったかどうかは、全くわかりません。以下にシェアするウィキペディアの記事にもありますが、東京のメディアだけが盛り上がっていたかもしれず、半分ぐらいは架空のイメージだった可能性もあります。
以下、神戸のお嬢様から波及した文化的な現象を記しておきます。
1. ファッション
僕は全く詳しくないから、ウィキペディアをシェアすることで許してください。
上記の「神戸系」ファッションブランドは、ほとんど分からないですが、最後の芦田淳はコンサバの筆頭みたいなブランドだったので、そうだなあーと納得しました。ただし彼自身は神戸に縁があったわけでは無さそうですね。
2. 富裕層のライフスタイル
大昔から神戸と阪神間にはモダニズム文化というものがあって、神戸の外国文化 × 大阪で事業が成功した人々 × 東京の文化 が混じり合って出来た富裕層のライフスタイルが有ったのです。「神戸のお嬢様」のルーツはそこなのですね。
ここでいう東京の文化というのは、大元はおそらく関東大震災によって、東京の会社やメディアなどの機能が、昭和初期にかけて大阪から神戸までの阪神間に移っていたことによるものだと思います。
同じ頃に、阪神電鉄や阪急電鉄が大阪と神戸を結んでいたことで、芦屋や西宮が新しい住宅地や保養地として整備されていった中で、いくつもの行楽地が出来たのが、西宮では「西宮七園」と言われる地名として残っているのです。
3. 文学
古くはやはりモダニズム文化の発祥の頃で、谷崎潤一郎に代表されるような文壇や文化人の間で神戸周辺がウケていたのですが、1980年代では「お嬢様」ブームを背景として、田中康夫が神戸の女性のライフスタイルについてのエッセイを書いたり、藤本義一が関西各地の土地柄や人柄について書いたりしていました。
他にも、のちに映画化されるような、神戸を取り上げた小説を書く人が多く、メディアでの神戸の露出度は高かったと思います。
4. 映画・ドラマ
神戸を舞台にした映画としては、個人的には
- べっぴんの町
- シーズ・レイン
- 花の降る午後
- 二代目はクリスチャン
などが記憶に残っていますが、ドラマとしては、圧倒的に
「過ぎし日のセレナーデ」
でした。
以下、YouTubeの動画をシェアしますね。
べっぴんの町
シーズ・レイン
80年代じゃなかった(汗;; ニアリーです。
花の降る午後
動画の途中からです。
二代目はクリスチャン
過ぎし日のセレナーデ
5. デートスポット
やはり圧倒的に、
垂水にあったシーサイド・レストラン(カフェ)
「ウェザーリポート」
でしょうね。
詳しくは話しません。昔、ブログに書いて大変なことになったので(笑)
あとは、
苦楽園から新在家に移った
「マイケルジェイズ倶楽部」
六甲にあった
「OLD/NEW」
ぐらいでしょうか。ぱっと思い浮かぶのは。
僕自身は OLD/NEW には行ったことがありません。今でも多分、建物は残っているんでしょね。
でも、本当のお嬢様は、違うところに行っていたかも?
6. 学校
お嬢様といえば圧倒的に
「神戸女学院」
ですね。ただ、大昔は神戸にあったのですが、1980年代時点では西宮にありました。すぐ近くにお坊っちゃまの「関西学院」
神戸では
「神戸松蔭」
ですかね〜。
「親和女子」とか「甲南女子」とかも個人的にはそういうイメージを持っているのですが。
最後に
久しぶりに記憶の隅から隅まで洗ったような気がします。
文化というのは、なかなか継承されるのが難しくて、今となっては絶滅が危惧されそうな勢いですが。
「1980年代の神戸」と書きながら、ほとんどお嬢様系の話になってしまいましたが、80年代の神戸のあらゆるアクティビティを挙げようとすると何日もかかりそうだし、自分も年代の半分ぐらいは居なかったから、上記がほぼ限界です。
ただ一つ、言えることは、東京など他の地域から見た神戸のイメージと、実際に神戸に住んでいる人たちが持っている自分たちの街のイメージには、かけ離れた部分もあったということは、最後に言っておきたいと思います。
(2022年6月2日に note で投稿した記事)